意外な事実満載?! 新幹線の歴史とは

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親子三代の夢

太平洋戦争の戦況の悪化により、弾丸列車と名付けられた高速列車は、日本の線路のレール幅を標準軌にしようという政治的な流れも関係して計画されていました。このような歴史が東海道新幹線には含まれているのです。

「新幹線の父」とも呼ばれた東海道新幹線建設当時の国鉄総裁である十河信二は、戦前の改軌計画にも鉄道院官僚として携わっていたという過去を持っています。そして、新幹線の建設のために国鉄技師長として任命された島秀雄は、弾丸列車計画に参加していました。つまり、戦前の鉄道業界において中軸を担っていた2人が、日本の高速鉄道の建設の始まりとなったのです。

また、島の父親でもあり鉄道員技術幹部だった島安次郎も、弾丸列車計画や改軌計画に関係が深いです。また、国鉄技術者として秀雄の長男でもある島隆も新幹線車両開発に参加しています。つまり、親子三代の夢が新幹線を走らせていったのです。

しかし、十河は東海道新幹線の開業前に建設費が超過した問題で責任を取り辞任。そして島も十河とともに技師長を辞職し、開業式に招待されることはありませんでした。しかし、今では東海道新幹線の東京駅プラットホームに十河の業績を讃えるレリーフが設置されています。